ロードバイク東海道走破の思い出

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数年前、東海道(国道一号線)を東京から大阪前走破したのでその思い出を書き残します。

きっかけ

きっかけは安田大サーカス団長のDVDがきっかけでした。

団長は自転車芸人の中でもガチ勢と名高く、ロードバイク乗りの中では有名です。

ロードバイクイベントに行くと必ずおり、オフの時間は一緒に写真を撮ってくれたりと非常にファンサービスに手をぬかない人なのです。
僕も写真を撮ってもらいました。
大好きな芸人の一人です。

団長についてググっているとこのようなDVDがあることを知りました。(テレビ番組?)

早速DVDを購入し、視聴するとそこには異常に過酷な東海道走破の映像が・・仮眠1時間半、予定を6時間ほどオーバーし、ゴールにたどり着くわけですが、後半はぐったりしほぼダイジェスト。
真の過酷がそこにありました。

そんな団長を見て、僕も走りたい。そう思いました。

早速、有休5日間取りました。

東海道走破作戦 ルート 装備

走破予定日数

団長はほぼ不眠不休でしたが僕には時間があったので、途中ビジネスホテルに泊まりつつ、一日200kmずつ走ろうと思いました。そうすれば3日でつく計算をしてました。

ルート

ルートは基本、東海道(1号線)を走り、都度バイパスを避けて走る方針にしました。迷いたくないので。

持ち物

・リュック
・パンクセット
・短パン
・ウィンドブレーカー

持ち物はこのくらいでした。4月だったのでウェアにそこまで気を使う必要がありませんでした。

短パンはホテルに着いた後、レーパンだと恥ずかしいので持って行きました。
ちなみに、着替えはなしです。
数日間、同じレーパン、ジャージで過ごすことを覚悟しました。
ホテルで水洗いして・朝には乾いてました。
もちろん全裸で寝てました。

1日目 最大の難関。箱根峠の恐怖(東京〜静岡)

早朝の多摩川

出発の当日、僕は4時に目が覚めました。
不安とワクワクが同時に押し寄せるような感覚でした。
本当は7時くらいに出ようと思いましたがその後寝れそうにありませんでした。
僕は出発することにしました。

薄暗い中、まずは東海道を目指し、環七を南下、東海道へ。
ひたすら100kmほど走り続け、最初の難関そして最大の難関である、箱根の麓に到着。
僕には選択肢が二つありました。

緩やかな東海道で峠を越えるか。
急勾配の旧東海道で峠を越えるか。

ヒルクライマーな僕は当然旧東海道を選びました。

ヒルクライムはヤビツや都民の森、富士ヒルも何度も出てましたのでさほど心配することはなく、噂の七曲り峠も確かにインコースは異常な勾配ですが真ん中あたりはまぁ大丈夫でした。
よっぽどヤビツTTの方が辛い印象でした。

芦ノ湖から富士山

芦ノ湖に着き、そばを食べ早々に出発しました。
なぜかわかりませんが早く着きたい一心で観光や食を楽しむという気がしませんでした。

そのまま、箱根峠を越え、ひたすら長い下り坂を進み静岡県入りしました。

この時点で昼過ぎ、沼津を素通りし、富士山を眺めながら、富士市も素通り、そのまま静岡駅まで行き1日を終えました。
220kmほど走りました。

現地でビジネスホテルに電話して泊まり、夕飯は近くの串揚げ屋に入りました。

体の調子は、圧倒的な足の疲労感、腰の痛み、お尻の痛み。
明日筋肉痛だろうな・・という不安とともに11時ごろ床に着きました。

二日目 激痛の腰(静岡〜名古屋)

静岡駅前。電波の入りが悪かったです。

二日目の朝はまた4時ごろ起きました。
ゆっくりすることなく、ホテルを後にしました。

昨日心配していた筋肉痛は予想通り現れ、身体中バキバキのままスタートしました。
軽く軽く漕ぎ、スピードは25km前後とか軽めに進み徐々に体を温めていくような感覚でただひたすら長い道を進んでいきました。

腰の痛みが顕著になってきました。
明日の筋肉痛は我慢できるのですが、腰の痛みは我慢できません。
何か危険なものを感じました。
そして気づきました。リュックが揺れて腰にずっと当たってそれが負担になっているのでした。
そこで、リュックの紐を極限まで短くし、背中の上に来るように調整しました。すると少し楽になり走れるようになりました。

昼食は浜名湖名物の4千円のうなぎをいただきこの旅で一番のご馳走をいただきました。
うなぎ最高ですね。また食べたいです。

さらに先を急ぎます。
途中、岡崎城を見かけました。
今でこそ東海オンエア大ファンの僕ですが、当時は知らなかったので素通りでした。
もし当時知っていたとしたら、岡崎に一泊したと思います。

岡崎あたりで、15時だったのでそこから3時間で進める距離の場所に宿を取ろうと思い、名古屋にしました。

淡々と進み、名古屋チェックイン後、出かけからめ亭のあんかけスパをいただきました。
ずっと憧れていたので満足でした。

2日目も220kmほど走り、体がさらにバキバキになりました。
が、ロードバイクはどんなに体がバキバキになろうとも走れるんだなぁということを知りました。

寝る前にマッサージを受け、その後11時ごろ寝ました。

3日目 豪雨の鈴鹿峠(名古屋〜滋賀)

3日目です。朝起きると豪雨でした。
天気予報を見ると午前中ずっと雨です。
今考えると名古屋にもう一泊してもよかったのですが、僕はなぜか出発します。

とりあえず、近くのコンビニでレインコートを買い、雨直撃を防ぎました。

雨の日は意外と走れることを僕は過去の経験から知ってました。
ただし、雨直撃は体温を奪うのでレインウェアは必須です。

三重県に入った直後くらいにモーニングを食べるために喫茶店に入りました。
トーストと卵と濃いめの紅茶をいただきました。なんか感動しました。

そして、第二の難関。
三重県には団長も苦労していた鈴鹿峠があります。
そして、今僕の足は筋肉痛で超激痛です。屈伸するだけで声が出ます。
登れるだろうか・・流石に立ち漕ぎも必要です。少し不安でしたが進み続けました。

途中、横道をそれて旧街道の宿場町の街並みを見ながら進みます。
ギヤは常にインナーローで淡々と漕ぎました。
そしたら気づいたら峠を越えてました。
どんなにバキバキでも時間をかければ峠は越えられるのですね。

その日は120kmほど走り夕方となりました。
やはり豪雨の中走るとスピードは落ちますね。
琵琶湖のほとり大津に宿をとり夕食をとりました。
夜遅いのと雨が降っていたので琵琶湖見学は次の日に持ち越しました。

4日目 残り0km感動の東海道の終点(琵琶湖〜大阪)

4日目です。

昨日の豪雨が嘘のように快晴でした。
残り60kmと少なく昼前にはゴールできそうだと思い、琵琶湖を見学することにしました。
矢島大橋という琵琶湖の中にある島?みたいなところに渡れる橋を渡り、写真を一通り撮って琵琶湖を後にしました。

そして、滋賀から京都に入っていくのですが、京都に入る前に長い坂がありました。聞いてません京都は平地だとばっかり思ってました。

鴨川の桜

予想外の坂道を超え、住所は京都に。
鴨川を見つけたのでそのまま南下、淀川に合流しサイクリングロードに入りました。

広大なサイクリングロードをぐいぐい進み、サイクリングロードを抜けて、東海道へ。

東海道の終わりにおいてある何か。

東海道の脇には何回も見てきた「日本橋から565km」の看板が見えました(確か記憶が怪しいです。)
googlemapで終点と思われる交差点に到着、何かオブジェ的なものの前で写真を撮りしばらく道の端に座ってました。

梅田のお好み焼き定食

とりあえず、短パンを履き、その辺でスニーカーを買い街をぶらつくことに。お好み焼きを食べ。喫茶店でコーヒーを飲み。
シルベストサイクルを発見し少し感動し、他に観光してもよかったのですがホテルがどこもとれそうになかったのと、何か早く帰りたい気持ちが高まってきたので、大阪滞在2−3時間で新幹線で帰ることにしました。

新幹線の定番

帰りの電車の中でずっと窓の外を見てましたが、東海道新幹線はその名の通り東海道脇をずっと走ります。
数日間走ってきた道が一瞬で通り過ぎていきます。
あぁあそこ見覚えあるなぁと思ったりして感動してました。
3日かけてきた道も数時間で東京です。

最後に

東海道に挑戦する方へ

東海道沿いは基本的にずっとお店があるので補給に困ることはありませんし、何かあったら助けてもらえる環境ではあります。

が、東京〜大阪はかなり辛く、疲労が溜まってくると注意も散漫になります。
危険な場面が何回かありました。
挑戦される方はくれぐれも事故には気をつけて。
無理はせず暗くなる前に走るのをやめましょう。

荷物周りのアドバイス

荷物は極力少なくするべきです。
お金があれば大抵大丈夫です。
できればリュックも避けて、大きいサドルバックをつけたりすると良いです。

結局東海道どうだったかのか

一言で言うなら、楽しかった。

これです。また走りたいかと言われると。
今これを買いてる瞬間は走りたくなってきました。
やるかはわかりませんが。

・・・

僕が走ってる時はいつも考えていることは「早く家に帰りたい」です。
でも、走り終えた時に考えていることは、「また走りたい」。でした。
いつも家を出た瞬間から早く終わりたいと思って走ってました。
なのに、終わるとこんなにもまた走りたい。


不思議な魅力がありますね。ロードバイクは。


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